La mer bleue

紫野いき・9

佐々木脩より2歳年上の煕は不機嫌だった。
弟の脩がアメリカから帰ったばかりで忙しそうにしているのにしっかりと喜久子に連絡し、会う約束をしていたから。

煕は脩より10cmも背が高く筋肉質でがっちりしている。
整ってはいるが目が鋭く、強面だ。
やはり、剣道と空手を小さい頃からやっている。
今は父親が経営する会社の社員として毎日朝は早くから夜は遅くまで仕事に追われ、プライベートな時間がほとんどなかったのだ。
喜久子と連絡して会う時間も無い、そのせいでイライラしている。

つかつかと脩の部屋に押しかけて、ドアもノックせずに脩に言い寄った。

「おい、キクに会うのか?」と熙(ひろし)が言った。
「いきなり、何だよ」
「俺も行くからな」
「婚約者でもないのに何で来る?」
「お前が婚約者なのがおかしい。。」
「キクは俺のこと、婚約者って認めてる」
「だいたい、お前とキクとじゃ、合わねぇよ」
「キクは俺だと安心してる。あんたよりは信頼されてるかもね」
「なんでだよ!」
「キク、大学に気になる男がいるみたいだぜ」
「え!」
「しかも、自分からキスしたらしい」
「・・・・・・・・」
「相当、ショック?」脩は兄の煕に冷たく言い、ざまあみろと言わんばかりにクックックッと笑った。
「どうしてそんな事、知ってる?」
「キスの件は公安の山田から聞いた。気になる男についてはキクから聞いた。キスは本人からは聞いてないけどな。ま、キク、あんたには言わないと思うよ」

そうかもしれない。煕は若い女の子にしては無口な喜久子を思い浮かべ、やれやれと思った。キクはいつでも、黙ってる。

婚約者の兄である煕は脩以上に喜久子の事が好きだ。
煕が喜久子の婚約者になれなかったのは佐々木家の長男だから。
喜久子は一人っ子である。喜久子の家は喜久子を嫁に出すことには反対をしていないが喜久子に男の子が生まれたら、両親の養子にして長門の家を継がせたいと考えている。
もし、男の子が1人しか生まれなかったら、長男の子供は養子に出せない。
なので双方の親が話し合った結果、次男の脩が婚約者になった。

長男の煕は婚約者もいない全くのフリー。
彼は喜久子に執着している。

今から、そんな先を考えてもしょうがないじゃないか。
結婚したからといって子供が出来るとは限らないし、まして、脩と喜久子じゃ無理だよと煕は思っている。

脩より俺の方が何倍もキクの事、分っているのに・・・。
キクだって、そうだろ。それとも、俺は優しいお兄さん、ボディガードで終わるのか?

「とにかく、お前の代わりに俺が行くからな場所と時間教えろよ」
「今回はキクに頼まれた土産渡すから、2人で行こう、兄貴」

喜久子とは比較的冷静な関係の脩とかなり恋愛モードが高い煕との会話はやっと落ち着いた。

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金曜日の7時。六本木のジャズ・バー「ロイズ」のテーブル席には煕・脩・喜久子が座っていた。

「ご注文は?」とウエイターが聞くと
「ジャック・ダニエルのロック2つとキクは?」
「私も同じでいい」
「食べ物は僕が適当に頼みましたから」と脩。


「ヒロシが来るって聞いてなかったわ」喜久子は言った。
「忙しくて、なかなか会えなかったから、付いてきた」
「僕はお邪魔だったのかぁ」と脩。
「あ、これ、キクが欲しがっていたスーザン・ブランチの本」
「うわ!ありがとう!オサム、嬉しいっ!重かったでしょ?」
さっそく、脩から貰った本を捲っている喜久子を見て、こいつ、まだまだ子供だよなぁと煕は思う。

「キク、好きな男ができたって本当か?」と煕は聞いた。
キョトンとした顔をしてページをめくりながら喜久子が答えた。
「え?でも、まだ知り合って間もないって言うか、良くわからない。新藤君って私のこと『へんな女』って言うの。お前とは付き合わないとかも言われたし。。。」

「それで、むきになってキスしたのか?」

「え?・・・・・・・・」

「兄さん、いきなりキクにそんなこと言うなよ。キク困ってるじゃないかよ」

3人の会話はまた収集がつかなくなっていく。
結局、煕が酔いつぶれてくだをまき、喜久子と脩が機嫌をとってそれぞれがタクシーで帰る事になった。

「あーあー、何だかヒロシにいろいろ説教されただけみたい。。。」(by喜久子)
「何で、キクは俺がキクの事こんなに思ってんのがわかんないんだよっ!」(by煕)
「疲れた・・・」(by脩)
それぞれの思いはそれぞれに向かっていた。